だらしない日常をしぇありんぐ。

家から出ない日は一歩もでません。一歩でると帰らないくらい旅人です。そして今は旅人期間でアフリカのマラウイにいます。

いざ、JICAの0次面接に。

教育委員会の面接日。本当によく覚えている。

ビルに上がっていくときに変な冷たい空気感。

緊張しすぎて40分前についてしまったこと。

待合室で1人、ご一緒になったこと。きっとこの方も受けに来たんだと初めて知った。

何人の応募者がいるのかは毎年わからないのだが、

枠をもらえるのは1枠のみ。激戦である。

 

面接では、こりゃ落ちたと思うことを連発して言ってしまった。

途上国でやりたいことは何かを聞かれたときには、

大きな声で「ラジオ体操を広めたいと思います!!」と。なんでやねん・・・

もっとあるやろ・・・と。

派遣されて日本に戻り、この市の教育にどのような還元をしたいですか。の質問には、

「途上国での生活の経験を活かしこの市の教育を変えます!!」。

という謎の政治家風発言・・・。

 

完全にやらかしたと、面接室を出た瞬間自分の回答に笑えてきて

ニヤニヤしながら教育委員会を後にした。

その日は平日で、学校を休ませてもらって面接を受けた。

 

そのため、私が所属していた学部の長には報告をいれた。

このエピソードももちろん報告し、また来年頑張りますと添えて。

次の日にも、同じクラスの先生からどうだったかを聞かれ、

この話をすると「逆にええかもしれへんで」とか

「この市の教育あんたが変えるんか!えらいことになるのお!」と

みんな笑って励ましてくれた。正直に嬉しかった。来年も頑張るかあと(笑)

 

現職枠の合格発表日、もうソワソワが止まらなく仕事は全く集中できていなかった。

放課後校長先生に呼ばれて、校長室へ行くと真剣な表情をした校長が

1枚の紙きれをもって私の前に座った。

 

「今回の現職参加枠の面接結果が届きました。

次年度この枠を利用してJICAに参加するのは先生です。」といわれポカン。

言葉の意味を理解しきれず、落ちたのか受かったのかわからなかった。

「え?」と聞くと、「合格だよ」と。

「えーーーーーーーー!!!!!!!!!」とびっくりだった。

 

あの面接内容でいいのか?!と思いながらも

受かったことに対しては非常に嬉しく、大変喜んだ。

学校での発表だったので気持ちは押さえたが、

学部長や受けたことを知っている同僚には報告。

そりゃまあみんなびっくり(笑)

 

それもそんはず、私が所属していた学部で私は本当に生徒と同じくらい

手のかかる教師という位置づけで生活をしていたからだ。

かわいがられていたともいえる。私が一番年齢的にもなにもかも若かった。

ベテランの中でいろんなことにチャレンジさせてもらい、

育ててもらった環境なのである。

 

そんな中で合格した報告ができたのは少し自信になったのは確かだ。

でもまだ、JICAの書類審査や面接があった。

現職枠で合格することができれば落ちることはほぼないよと聞いていたが、

もちろん落ちる可能性もあるわけで…。

 

でも、なんとか0次面接を乗り越えたときのエピソードでした。

次は、JICAの面接に。

JICAを受けることになった。

2023年3月末。

私は公立の特別支援学校での仕事に一区切りをつけました。

なぜかというと、青年海外協力隊でアフリカのマラウイという国に

派遣されることになったからです。

 

どこから説明したらいいのか、、、。

2022年までさかのぼります。

はじめに、2022年6月末に教育委員会からの通達で

JICA協力隊での特別現職参加制度の募集がありました。

この制度は自分の公務員の身分を保持したままJICAボランティアに

なることができるというものです。

つまり、公務員のまま途上国に行くことができ、

給料もそのままいただくことができるとてもありがたい制度のこと。

 

私はずっと海外の特別支援学校で働きたいという夢があり

いついこうか、どうやって行こうかを常に模索していました。

 

そしてこの募集が教育委員会からでたすぐに親に連絡をいれました。

・JICAを受けようと思っていること

・特別現職枠に応募するけど不合格だったら無給でもいきたいとのこと

 

すると母は「絶対有給やろ」と(笑)

私は「だよな。」と思いつつ、応募書類を準備し提出しました。

 

教育委員会に書類を提出した後の流れは、

教育委員会での面接がありそれに合格することができれば、

特別現職参加制度を利用してJICAの応募ができます。

そのため、ここで受からなければ有給で派遣されるということは

ないということです。

 

書類を提出し、面接日が決まるまでに母と何度か連絡を取っていました。

すると母が、「まだ若いし焦らんでもいいんちゃう?」

「英語ももうちょっと勉強してからとかさ。」と伝えてきたのです。

 

正直私には理解ができなかったのを覚えています。

若い?もう26歳になります。英語の勉強?ゴールがなさすぎて、

できるようになってからだともう50歳とかになってる気がする、、、。

母の気持ちもなんとなくわかりました。

また唐突になにか言っている。きっと気持ちが先走っているのだろう。

と思われていたと思います。

 

でも、機会があるならば思い切って飛び込んでみたかっんです。

だから母には「とりあえず受けてみるね」と

伝えたのがJICAボランティアになるスタートでした。

また1年弱すぎていました。笑

みなさま、こんにちは。

 

どうやらまた1年弱もの間ひとつも投稿せずにいました。

ブログを書くのは向いていないのでしょうか。笑

 

この前までの記事は振り返りを書いていました。

そしてまたこの1年の振り返りを書いていきたいと思う所存です。笑

 

2023年は激動の1年でした。

それもそのはず、JICA青年海外協力隊に応募し合格し、

なんと今はアフリカのマラウイという国で過ごしています。

 

3月末で勤務校を離れ、

4月~6月は福島県の二本松でJICAの訓練に参加、

そして7月に渡航マラウイへ来たのです。

 

こんなにも1年で環境が変わるのは初めてでした。

 

もう少し深く具体的に2023年を振り返りたいなと思います。

 

 

大学の友達に会いに東京へ🚶‍♀️

 

2022年1月のお話

 

社会人になって2年目でコロナが流行り

そのおかげで大好きな友達とも会えない日々が続きました。

 

4年目になる1月に久しぶりに

大学の友達4人で会うことに。

1人が東京にいるので関西から3人でGO!

 

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くだらん話で盛り上がったり

部屋にいたら知らんうちに全員寝ちゃう

あたりが変わらないなあって、、笑

 

夜ご飯は相撲部屋ですか?レベルの量の

ご飯を作ってもらい完食しました笑

 

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まだまだ体育会の胃袋だけは残ってました笑

 

 

 

大好きな大好きな愛犬🐕

 

私の愛犬は2021年9月24日に亡くなりました。

 

18歳は大往生だと火葬場の方が

言ってくださりよく生きてくれたと

改めて感じました。

 

私が小学生のころから飼い始め

中高生になると部活で忙しくなかなか

ずっと一緒にいることはできなかったけど

嬉しかったことの報告ももちろんですが

試合で負けた日や嫌なことがあった日は

必ず愛犬のそばで一方的にその日の

出来事を伝えていました笑

 

返事もしてくれないし、いいアドバイス

くれるわけでもないけど

一緒にいるだけで救われたことめっちゃあります。

 

ペットを飼うってこうゆう気持ちを

教えてもらえるので大事なことだと思います。

 

大学生になって私は実家をでたので

余計に会えなくなり、

社会人になってもまた一人暮らしをしたので

会えた数は少ないです。

 

でも、帰るたびに尻尾を振って

外の柵からフガフガ言いながら

お出迎えしてくれたのは本当に嬉しかったです。

 

柴犬で豆柴まではいかないけど小柄で

顔は本当にべっぴんさんでした。

でもちょっと鈍臭くてあまり賢くなかったのもご愛嬌。

 

お世話をしなくて悲しい思いをさせた時期も

あってすごい後悔しています。

もっともっと可愛がってあげたかったって

思うのももちろんあります。

 

それでも、

私の家にきてよかったって思ってくれてたら本当に嬉しいなって思います。

 

我が愛犬、本当にありがとう。

あなたのことを一生愛してる!!

 

 

あれから何してた?②

 

前回に続きまして振り返りです。

2021年は社会人3年目の年でした!

 

私は教員をしていまして、

この年に新設校ができるということで

異動意向調査に新設校へ異動希望と

マル印したのをよく覚えています。

 

その時の職場か嫌だったから

異動希望をだしたわけではなく、

私は新しい場所や環境にいくことが好き!

ってなだけの理由です。

 

イチから作り上げていく学校を経験したくて

そんな状況に携わりたくて異動届に〇をしました。

 

いざ異動して本当にゼロスタートでした。

年度初めで印刷物が大量にあるにもかかわらず、

設置されている印刷機は家庭用、、、。(終わるかあっ!!笑)

本当に刺激的でした。

 

無人島に放り込まれてみんなで問題を

解決していく感じでした。

 

Wi-Fiはなかなか繋がらない、

教室には何もないので机椅子を外から運ぶところから始める、

など本当にサバイバルで楽しかったです笑

 

そんな中、英会話と日本語教師養成講座の

勉強も続けていき。

9月に無事、講座の全授業が終了しました。

 

12月にある日本語教師の資格試験が

ありましたがそれはしっかり落ちました笑

 

割と真面目に勉強したんですが

すごく難しかったですね、、笑

 

2023年は初めて異動を経験した1年で、

新鮮でいろいろな壁にぶち当たりながらも

日々自分の成長を感じることができる環境に身を置けたことに

感謝しかない1年でした。

また、実家で飼っていた愛犬が亡くなった年でもありました。

 

愛犬のことは次の記事で書きたいと思います。

 

 

 

 

あれから何してた?①

2年もの期間空けていましたので。

少しだけ振り返らせてください!

できるだけ簡潔に書きますので是非みてください笑

 

まず2020年度版です。

 

あれから何をしてたのかと言いますと、

1人暮らしを始めて

日本語教師の資格を取りました!

 

一人暮らしを始めたのはこれまた唐突に。

大学4年間京都に住んでいたこともあり

実家暮らしの限界がきまして、、

ある日突然ふらっと不動産屋に行って

部屋を決めてきてしまいました笑

 

そりゃ両親びっくり、、笑

 

まあ社会人でしたし貯金もそれなりに

あったので驚きながらも出してはくれました笑

 

部屋を決めて実家を出るまでの期間

なんと2週間と少し!素晴らしい行動力!笑

 

一人暮らしを始めた目的は、一人の時間の確保でした。

一人でいるほうがストイックな生活ができる性格なのです。

勉強や運動を人に見られて努力するのが苦手で、

みんなの前ではついやっていない感をすごくだしてしまいます。

私の短所だと自覚しています。

 

なぜ一人ストイックな生活がしたかったか。

それは日本語教師の資格を取得したかったからです。

一人で暮らし始めて1ヶ月後くらいに日本語教師養成講座入りまして。

私はヒューマンアカデミーにお世話なりました。

 

2年前のこの時期のスケジュール帳を見返すと

自分でもよくやったなあと思うくらいハードスケジュールでした笑

 

その時DMM英会話もしていたので、

AM5:00から英会話をして、仕事に行き、

帰宅してから日本語教師の勉強を90分。

 

コロナ禍だったため授業を受けに行くのではなく

自宅のパソコンから授業の映像を見て

90分勉強するスタンスでした。

 

今だから言えますが、よーーーーく寝てました笑

 

仕事後の90分授業は眠い!!!

よくやった自分!!と褒めたいです。笑

 

資格はすぐに取れるものではなかったので

2020年は資格取得に追われながら

2021年を迎えたのをよく覚えています。

 

それでは次、2021年を振り返ります🫰🏻