生徒との怒涛の毎日
私の活動先は小学校の特別支援学級である。
となれば当然、毎日一緒に時間を過ごす生徒は障害をもっている。
彼らとの生活は驚くほどハードで、驚くほど楽しい。
ダウン症と肢体不自由の生徒は1名ずつの計15名程度のクラスだ。
日本の特別支援のように生徒1人につき教師が1名ということは不可能。
ましてや通常学級にも支援が必要な生徒はたくさんいるほどだ。
そして私の学校のように特別支援学級がある学校も珍しい。
田舎や村の学校ではどのような障害があっても通常クラスで授業を受けている。
それが最貧国。それが途上国。それが現実。である。
そんな彼らとの1日はもちろん体力勝負である。
1対1の指導ができないため、全体授業をしなければいけない。
これがきつい(笑)
誰がきついって私がきつい(笑)
現地語が堪能でない私にとって飽きずに授業を受けてもらうことの
ハードルは現地の先生と比べると1000倍くらい大変だと思う。
もちろん彼らは5分で飽きる。声も出してくれなくなる。
お菓子を食べ始める。外に飛び出していく。帰ってこない。
帰ってこないのに外でケンカして大声で泣いている。
毎日こんな1日ばかりだった(笑)
同僚の助けは?というと、私の同僚は超超超なまけ者だった。。。
私の授業のサポートに入ってくれることはなく、
自分の授業も板書をさせるだけ、、、。
話もまともに聞いてくれないことも多々あったため、
一緒に授業をつくっていこうということは到底至難の業であった。
そこで何もかも嫌になり諦め、導き出した私の答えは。
「とにかく毎日を楽しめ!君たちよ!!!!」でした(笑)
授業ではパソコンとプロジェクターを使う全力ICT授業を行い
彼らの興味を惹き、授業時間はクラスの外にいかせない作戦。
ダンスや動きを取り入れ、これまた飽きさせない戦略を。
そして最後に覚えてほしい、書けるようになってほしい単語などを
板書してもらうという展開を作りまくる授業をし続けた。
現地に寄り添った授業は?と言われれば全くできていない。
でも今、目の前にいる生徒たちを楽しませずに授業をしたところで
新しい発見や彼らにとっての大切な学校生活を無駄にしてしまうような気がした。
半ばあきらめ、でもいい意味での諦めと思って毎日たたかった。(彼らと笑)
でもやはり、飽きなせない授業をして生徒との距離が近づけば
関係性はよくなり生徒たちも私を理解しようとしてくれた。
今ももちろん、ケンカしたり教室を飛び出して帰ってこなかったりするが
私と彼らとの関係性ができたことで、お互い良い距離間で
ストレスになりすぎず?毎日一緒に過ごすことができるようになってきた。
猪突猛進で前進していくのも大切だが、潔く諦めることも前進する一歩である。
そんなことを教えてもらっているアフリカ生活だ。
私の活動
JICAのボランティアとしてアフリカに来ているが、
私の活動内容は「地域の小学校で特別支援学級の先生」をすること。
要請された内容はざっくり、
・学習環境を整えること
・同僚に知識を伝えること
・生徒の学習能力の向上
の3つを要請されていた。
だがしかし、現在の私はこの上記3つのことを成し遂げられているか
というと答えはノーだ。
私はただ毎日学校に行き、授業を2、3コマ行い
通常級へいく子供たちのサポートをして、帰ってくる。
そもそもとして、学習能力の向上は私にできることではないと感じている。
向上ではなくそれぞれの障害特性にあった授業を提供すること。
これが私にできる唯一のことであると考えている。
私自身、現地語が堪能なわけではない。
この国の教育システムをすべてわかっているわけではない。
そんな中で向上させられるほどの力量は持ち合わせていない。
学習環境に関しては、それぞれに適した授業を提供することや
同僚に障害特性について説明しそれに適した指導を一緒に行っていくことで
改善されていくと感じている、
要請に縛られずに、自分が現地に来て感じて
必要だと感じたものを要請にしてしまえばいい。
なぜなら私は専門家でもなければプロジェクトをしに来ているわけでもない。
言ってしまえばただのボランティアである。
だからこそ、なににも縛られずに自由に活動を行っていきたいと思う。
任地での生活
アフリカでの生活は「飽きない」です。
なぜ飽きないのか。
それは問題が次から次へと出てくるから。
停電断水があるのは任地での生活が長くなるにつれ慣れてくる。
だが、停電がエンドレス、断水がエンドレスに続くとなるとわけが違う。
停電がエンドレスになると、食事が簡単に作れないのはもちろんだが
携帯などの電子機器の充電ができなくなる。
毎日充電50%までモバイル充電でチャージをし、それ以上は使わない。
でないと、いつまで続くかわからない停電と戦うことができないからである。
また、断水になれば井戸まで水を汲みにいかなければいけない。
これが非常に重労働なのだ。
水は生活する中で必要不可欠。
食器を洗う、ご飯を作る、トイレを流す、洗濯、お風呂と
日常に水を使う機会は生きていく中でなければならないものだ。
断水が続けば食器はティッシュで汚れをふき取り、
ご飯は必要最低限の水を使う、
トイレはおしっこのときは流さず何回か貯めてから流す、
洗濯もできるだけ貯める、洗うのは下着だけ、
お風呂は超最小限の水で入るといった具合だ。
このような生活が続けば飽きるどころか、
どうやって負けずに豊かに暮らせるかを試し始める。
停電、断水のどちらだけの日もあればダブルパンチの日もある。
また雨季になれば雨漏りも発生し
寝室はバケツがないとびちょぬれである。
前は帰宅すると、雨漏りの隙間から大量のハチが侵入し
家がハチだらけになり3時間家に入れない状況になったこともある。
超暑い時期は、寝ることが難しくなる。
というのも窓を開けたいが開ければゴキブリが入ってくる恐怖。
などなど、、、。語りきれない。
このアフリカの生活は面白いが勝つ(笑)
最近はどれだけネタを集めて帰国できるかだと思って生活している。
残りの任期も面白おかしく笑って
大変な生活を乗り越えて「飽きずに」楽しみたい。
いざ任地へ。
アフリカでの生活も1か月が経ち、語学研修やさまざまな研修が終わり
ついに自分の任地へ行く日がやってきました。
ということは、1人での生活が始まるということ。
今までの1か月間は同じ国に派遣された
同期の隊員たちと同じ場所で住んでいました。
ですが、活動場所はそれぞれ異なります。
今からは1人で自立してアフリカの大地で生きていかなければいけないのです。
私がまず思ったこと。それは、
寂しい!さみしい!サミシイ!!!でした(笑)
みんなでずっと一緒に住みたい!と本気で感じちゃいました。
アフリカに何しに来たんだという気持ちももちろんありましたが、
その時は本当に寂しく心細かったのを覚えています。
でもまあ、そんな私の気持ちがどうにかなるわけでもなく
引っ越しの日はやってきて自分の家へといきました。
アフリカの家はどのような家を想像しますか?
現地の人と同じような家に住む?ノンノンです。
JICAボランティアが住むことができる家は割と厳しくチェックされます。
安全対策的には大丈夫なのか、環境はどうかなどです。
現地の人が建てた家に住むことにはなりますが
そのような規定があるのでまだ生きていけるかなああああという感じです。
もちろん、穴トイレの隊員もいれば停電断水だらけの隊員もいます。
私の家は水洗トイレですが、停電断水は常にあります。
この生活の様子もまたゆっくりと書いていければいいなと思っています。
そして引っ越ししてから2週間くらいは
怒涛の掃除や工事が続いきました。
工事といっても修理をしているのか壊しているのかは紙一重(笑)
今の家がようやく落ち着いたのは正直、赴任後3か月経ったくらいでした、、、。
そんなこんなで、アフリカで私の家となる場所で
わたしの生活拠点となる場所での新たな生活がスタートしたのでした。
アフリカでの現地語研修
アフリカにJICA協力隊として到着してすぐに
その国の現地語を学習する研修がありました。
それはもちろん英語で現地語を教えてもらいます。
ということは、英語がわからなければ現地語も理解ができないということ。
なぬーーーーーーーーー。です。
まあ当たり前に、何言っているのかはわからず
同期隊員に日本語に通訳してもらう毎日。
私が一番起きてちゃんと授業を受けているのに
本当に目が開いているだけ、、、(笑)
頭の中には何も入ってこず、先生の板書をひたすら写すのみ。
ここでも、心はしっかりと折れました。
なにを習得するにも、英語は欠かせないんだなあと。
でも、心は折れたもののここまでこれたのだから精神を爆発させ
誰よりも時間がかかってもいい。
誰よりも向かい合えばいいやないか。というマインドで挑みました。
研修が終わった夜も、次の日の朝も現地語に向き合いました。
では今、現地語が堪能になったのかと言われればそうではない。
なんなら、できないほうにいると思う。
でも、外国で生活するための諦めない心や
自分を信じる力は確実に誰よりもついているんじゃないかなと思う。
現地語で「ボラ・モヨ」という言葉がある。
これは「死ぬこと以外は問題ない」という意味。
日本でもよく言われる「死ぬこと以外かすり傷」みたいなものだ。
そう、ここに住んでいて本当によく思うし言葉にするし聞く言葉は
「生きていりゃいい」という言葉。
活動に行けない日があったって、生きてりゃいい。
外に出たくない日があったって、生きてりゃいい。
現地語がわからなくたって、生きてりゃいい。
上手くいかなくたって、生きてりゃいい。
ほんとうにその通りだと思う。
この気持ちは日本にいるときはあまり感じたことがなかった。
でも、アフリカにいようが日本にいようが
全人類にいえることではないかなと、感じている。
そう思いながら、「生きてりゃいい」を大切にしながら生きています。
アフリカでの最初の難関
アフリカの任国に到着してすぐの難関は、英語でした。
というのも、もともと英語は得意ではありませんでした。
JICAの訓練生としての訓練施設でも1番下のクラスで勉強していたレベル。
任国で暮らしていくために約1か月間の研修がありました。
そこではもちろん日本人スタッフもいますが、
現地人スタッフもいて。その方たちからの研修で心が折れました(笑)
ほんとうに何を言っているのかわからないんです。
英語ができる同期隊員でさえ、
アフリカンイングリッシュだから聞き取りずらいとのこと。
ききとれるわけないやーーーーーーーーーーーーーん。
と、本当に心が折れたし悔しかったのを覚えています。
先輩隊員からはだんだん慣れてくるから。という励ましをもらったものの
その頃の私はその言葉を信じることはできず、、、。
たどり着いた答えは、努力し続けること。
英語をわからないなりに勉強し続けることでした。
正直、何を勉強したらいいのかもわからない。
単語?文法?リスニング?スピーキング?
全部たりてなーーーーーーーーーーーーい!!!!!
とにかくみんながしている勉強法を試していこうと
YouTubeやインスタグラムで情報集めをしました。
そこで出会ったのがTEDと言われる
さまざまなトピックについてプレゼンテーションをしているサイト。
その中にあった「Grit」という題名の
プレゼンテーションに心を打たれました。
本当に簡単に要約すると、
「成績がいい子が結果をだすとは限らない。
やり抜く力(Grit)があるやつが結果をだす。
Gritとは長いスパンのゴールに対して情熱と忍耐をもつこと。
スタミナがいること。将来にこだわること。
1週間とか数か月ではなく、何年間もの期間、
明けてもても暮れても将来の実現のために一生懸命取り組むこと。
まさに私がしなければいけないのはGritでした。
このプレゼンテーションが大好きになった私は
この内容を丸暗記するようにシャドーイングを始めました。
これが私の英語上達への道第一歩の挫折ストーリーになります。
まだまだ、英語学習は続きますが一旦ここまで。
挫折は成長への第一歩といいますが、本当にその通りだと思います。
アフリカでの生活
日本での旅行記は自己満にすぎないので終了とします。
私が現在住んでいるアフリカの国での生活を届けていこうと思います。
国を特定すると身バレするかもなので伝えられはしませんが、
アフリカの中でも最貧国とされなかなか経済なども発展していない国です。
同時期に独立した他の国と私の国を比べると
なぜこんなに発展していないんだと感じてしまうほどの貧困国。
首都でさえいまだに道路の整備はされていないところが多い。
モールと呼ばれる他国のようなショッピングモールはない。
停電断水多すぎる。てな感じの国です。
でもこのような国だからこそ。というかこの国だったから
感じられるさまざまな刺激や感情。
ときに感情が追い付かなくなったり、
どうしようもできないと悲壮感に打ちひしがれるときもある。
しかし今は人生の宝物であるという風に感じながら生活している。
私のここでの生活をシェアしていければと思います。